出 来 事

'04.1.31
エロティシズムと規範
 前回、エロティシズムに関してふれた。これが、サインとどのような関係があるのか?といぶかる人もいるだろう。筆者は大いに関係あると思っている。エロティシズムが無くなると言う事は、社会の規範が無くなると言う事と同じである。
 さて規範とは何か?辞書を調べると、きはん-【規範/軌範】【(1)行動や判断の基準・手本。「社会―」「―に従う」(2)〔哲〕〔norm〕単なる事実ではなく、判断・評価などの基準としてのっとるべきもの。準拠。標準。規格。】

 規範どのようにつくられるか。簡単に言えば、社会の合意が得られれば規範となる。昔は親は子供をよく殴った。今は、下手に体罰はすれば警察に捕まる。ストーカー行為でも捕まる。これは、法律の問題ではなく、社会的合意が規範を生み、法律化されると考えた方がよい。だから、警察の取締は後追いになる。

 規範がなければ、もともとエロティシズムも存在しない。侵入すべき対象がないのだから当然な結論である。

 今の世の中を見ていると規範が良くわからない。例えば、新宿駅東口にあった?ホストクラブの看板。格好いいお兄ちゃんのポスターがバンバン貼られていた。(どこからか撤去要請があったと記憶しているので、今はないかも知れない。)ある意味、これはエロティシズムの氾濫といっていい。過剰になれば、排除される。また、お姉さん言葉のへんなタレントが増えている。これも、エロティシズムの問題である。キヤラの問題ではない。しばらく見ていれば、偽者はすぐに消える。テレビから、子供がひきつけをおこすようなホラー映画のCMが垂れ流されている。この場合は問題が深刻で、子供がひきつけをおこすと言う事は、その表現に性または生に関する深刻な問題を内包していると考えた方がいい。

 格好いいお兄ちゃんやへんなタレントが悪いと言っているのではない。規範がわからないと言っているのである。

 例えば、ヘルムート・ニュートンのイメージを公共の場(誰の目にもとまる場所)にディスプレーするとする。これは、ホストクラブの看板と同じであ。ヘルムート・ニュートンのイメージが好きな人間は、彼のイメージに相応しい場所に飾るだろう。間違っても公共の場ではない。逆説的に言うと、エロティシズムを知っている人間は、規範を知っている事になる。
 このことから、エロティシズムと規範は相対的な関係を維持していると言えるだろう。
 近頃の看板は、ひたすら言葉に媚びて、店の事を伝えていない。つまりは、色気がないのである。だから、規範も当然、無視される。やれやれである。
 規範があるから、看板やポスターは効果を発揮する。これを忘れて、看板やポスターを乱立させれば、景観を壊すだけでなく、店そのものイメージも壊すことになる。簡単にいえば無秩序なサインの氾濫は、スプレーの落書きと同じである。
 
 昔、とあるサインショップでのぼりを月500本売ると宣った人がいた。呆れてモノが言えなかった。想像して欲しい。月500本を売ると言う事は、年間6,000本を売るという事である。それが街中にはためく事になる。そんな街に住みたいと思いますか?・・・6,000本売れるか売れないかの本題ではない。根本の「規範が壊れている」というのが、筆者の結論である。

 最後に、規範はグローバルな問題ではない。誰でも何処でも一緒ではない。文化や習慣によって規範は幾らでも変化していく。最近の事件で印象に残ったものを一つお知らせしておく。[韓国政府の竹島切手発行をめぐるネット騒動]その内容、過激さ、これに関わる人々の行動はもはや年寄の感覚をこえている。10年前にはとても考えられない事である。いやはや国際間の規範は難しい。

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